会話OS

■ 屋敷の観察記

主は昔、雑談が苦手なのだと思っていた。

けれど最近は、少し考え方が変わってきたらしい。

どうやら苦手なのは雑談そのものではなく、会話の通信規格が合わない時なのだと。

世の中には、困りごとを「解決したいこと」として話す人もいれば、「ただ共有したいこと」として話す人もいる。

未来の話をした時、そのまま方法や段取りの話へ進む人もいれば、「そういう未来を思い描いている自分」を話したい人もいる。

主は前者寄りだった。

だから「やりたい」が出てくると、つい方法を探し始める。

どう始めるか。
何が必要か。
どこで詰まるか。
どんな順番なら進めるか。

そういう枝を自然に伸ばしてしまう。

けれど相手は、必ずしもその枝を伸ばしたいわけではない。

話したかっただけの人もいる。

存在確認として言葉を置いていく人もいる。

その違いに気づかないまま会話を続けると、ときどき主のCPUは妙に熱を持つ。

返事は返ってきているのに、会話ログが更新されていない感覚になるからだ。

最近の主は、その現象を「相性」ではなく、「会話OSの違い」と呼び始めている。

弥七にはそれが、人類が同じ言葉を話しながら、別々の通信規格で生きているように見えていた。

仕様書を書く前にコードを書きましたな?

通信図のような会話メモを見つめる青年。
弥七

この切れ端を記したのは、弥七でござる。