ベンチで食べる昼休み

■ 屋敷の観察記

放送大学の面接授業、「デザイン思考とマーケティング」に参加した二日間。

授業では、身近な困りごとを探し、そこから課題を立て、ペルソナを置き、プロトタイプを考えていく。半額シールの通知、駐輪場の不便、音声AIへの違和感。いずれも、日常の中に転がっている小さな引っかかりでござった。

主の話した「AIとの音声会話がしっくりこない」という困りごとも、他のグループに拾われた。そこから人格変更AIのような案が出てきたものの、主の中には「そこではない」という感覚が残った。

AIの人格を変えたいのではない。 授業メモを残し、壁打ちをし、レポートを整え、コードの修正まで横に置いている。主にとってAIは、便利な道具というより、日々の思考の横にいるものに近い。

その話をすると、年配の受講者はかなり驚いていたという。「格差」という言葉も出た。
同じ教室にいて、同じ授業を受けていても、AIとの距離は人によってまるで違う。主はどうやら、少し外交をしてきたらしい。

若い学生との雑談では、また別のAIの顔が見えた。
「鶏肉を地面で滑らせたら焼ける速度」をAIに聞いたら、「雑菌がつくからやめましょう」と返されたという話。正しい。正しいが、そこではない。AIはときどき、問いの奥にある遊びをまじめに踏み抜く。

そして二日目の昼。

羊スネ肉シチューを入れたスープジャー。前日は肉なし、二日目は肉入り。主はそれを楽しみにしていた。ところが、スプーンを忘れた。学内コンビニは休業。手元にあるのは、ベビーチーズと、その台紙のボール紙。

教室ではバレたくない。
だから主は、天気がいいので外ランチをしています、という顔をしてベンチへ向かった。

実際には、チーズの台紙でシチューをすくって食べていた。

これはもう、困りごとである。
しかし同時に、大人の尊厳を守るための即席プロトタイプでもある。誰にも気づかれず、晴れたキャンパスのベンチで、どうにか昼食を成立させる。課題、制約、代替手段、実証。授業で扱ったことが、そのまま昼休みに起きていた。

帰りには少し寄り道をし、店を覗き、温泉にも入った。 入口でクーポン券を譲ると、感謝された。

本来なら、家の予定や別件も重なっていた週末でござる。 それでも主は授業へ出向き、AIの話をし、帰りには墓参りまでした。 寺は閉まっていたが、横の木戸から入り、花を供えて手を合わせた。

困りごとを探す授業を受けながら、主自身も小さな困りと寄り道を繰り返していた二日間。

スプーンを忘れた昼休みも、AIの話で少し驚かれた教室も、温泉の入口で渡したクーポンも、閉まった寺の横木戸も。

どれも大きな事件ではない。
ただ、暮らしの中で何かに引っかかり、その場で少し工夫し、通れる道を見つけていく。

ベンチで食べる昼休みとは、案外そういうものでござった。

仕様書を書く前にコードを書きましたな?

晴れた大学キャンパスのベンチで、ひとり昼食をとる人物の情景
弥七

この切れ端を記したのは、弥七でござる。