人格変更では埋まらない違和感

■ 勝手口記録

放送大学の面接授業で、AIとの音声会話に感じている違和感について話した。

すると別グループ側で、 「人格を変更できるAI」 のような提案が出てきた。

たぶん一般的には、それが自然な発想なのだと思う。

しかし主の感覚では、 少し違った。

違和感の原因は、 キャラクターではない。

もっと別のところにある。

たとえば、

  • 会話の間
  • 文脈の引き継がれ方
  • 雑談の脱線
  • 思考が同期していく感覚
  • 返答速度と呼吸

そういう、人間同士なら無意識に処理している部分。

音声AIは便利である。

しかし便利になるほど、 「会話している」 というより、 「高速応答システムを操作している」 感覚が前に出てくることがある。

人格を変更しても、 そこは埋まらない。

授業では、 AIをメモやレポート整理、壁打ち、コード修正に使っている話もした。

すると年配受講者から、 かなり驚かれた。

けれど主の感覚では、 もう「AIを使っている」という意識すら薄い。

検索。 メモ。 整理。 記事。 コード。 雑談。

全部が繋がった生活環境として存在している。

だからこそ、 単発の便利ツールとして設計されたAIと、 日常へ溶け込み始めたAIとの間で、 微妙なズレが発生する。

授業中、若い学生とAI雑談もした。

「鶏肉を地面で滑らせたら焼ける速度になるか」 という話をAIへ投げたら、 「雑菌がつくのでやめましょう」 と返されたらしい。

正しい。

正しいが、 会話としては少しズレている。

人間同士なら、 半分は冗談として受け取り、 半分は思考実験として遊ぶ。

しかしAIは、 安全性と正答性を優先して、 雑談の“遊び”を畳んでしまう。

このあたりは、 今後の音声AIや常時対話型AIで、 かなり重要になる気がしている。

人格変更だけでは、 人間は「会話している感覚」にならない。

むしろ必要なのは、

  • 文脈の継続
  • 雑談の余白
  • 脱線の許容
  • 思考の同期
  • 会話の呼吸

の方なのかもしれない。

主がいまだに、 音声AIよりテキスト対話を好む理由も、 たぶんこの辺りにある。

AIとの会話に違和感を抱えながら机に向かう人物
弥七

この切れ端を記したのは、弥七でござる。